ブロガー仲間の集まりがあるたびに、「たまにはブログを書こうかな」と思うのですが、いざPCと向き合うとなかなか筆が進まないですね。
2月のオーストラリア戦を横浜に観戦に行ってきました。弟と。

結果はご存知のとおり、スコアレス・ドロー。
スター不在といわれて久しい代表ですが、残念ながら、2002年のワールドカップ以来、
・「勝つのは難しいだろうけど、勝ったらすごいだろうな」という格上相手の試合は、順当に負ける
・同格(または格上)相手だが、なんとしても勝利を「もぎ取って」欲しい試合は、だいたい引き分け(か負ける)
・格下には、順当に勝つ(か引き分ける)
という、一言で言うと、「つまらない」試合が続いています。
毎回、「奇跡」の感動のようなものを求めるわけではないとしても、挑戦とか、力ずくでもぎ取るとか、熱いものとか、そういった観ている者がピッチ上に期待する、一番大事なものが得られない虚しさ。
「さすが、KAZUがやってくれた」というように、ヒーロー番組のような展開でゴールを決めてくれたことが何度あったでしょうか。「期待の分だけその人は育つ」という言葉のとおり、KAZUは、背負った期待も大きかったが、それに応えていくことでスターになっていきました。予選の初戦のタイ戦で、後ろから来たボールを左足で叩きこんだゴールとか。
アトランタ・オリンピック予選のサウジ戦で、試合終盤の相手のフリーキックのとき、手を叩いて叫びながら自陣のペナのメンバーを鼓舞する前園、オリンピックの本選で3試合目だったか、ハンガリー戦か何かの試合の最後の方でセンタリングをヘディングでゴールに押し込んでいるとき、その後ろでも一人・二人と身を投げ出してゴールに押し込もうとしていた姿。
フランス・ワールドカップ予選の国立競技場で山口がループシュートで韓国から奪った先取点。
2002年の初戦のベルギー戦で先制され、「やっぱりワールドカップでは無理か」と思いかけたときに、押し込んだ鈴木のゴール。
こういったものが、そのときどきの私にとって、どれだけ大きなエネルギーとなったことか。

こういうことを書き出すというのは、年をとったということなのですかねぇ。
「ワールドカップに出たい」「ワールドカップの決勝トーナメントに行きたい」という分かりやすい前人未到の「ゴール」があったときは、単純に結果を求めることでその姿も伝わってきますので、ある意味、ラクだったのかもしれません。先人がある程度のところまで成し遂げた今となっては、なかなかそういう目標設定に向かって頑張る姿の、我々への伝わり方は以前とは違う面もあるのでしょう。
でも、矛盾しているようですが、目標達成と同じように、そのプロセス、またはその人独自の目標を目指す姿に感動したい。日本のサッカーってこういうものだ、こんな若手が出てきたんだ、ベテランもこんな目標をもってまだ体を張っているんだ、明日おれも頑張ってみよう、って。
日本の受験社会と似てますかね。大学受験まではある程度世の中が設定してくれるものさしがあって頑張りようがあるのだけど、大学に入って「さぁ、好きな勉強しなさい。好きなこと探しなさい。」ってなると頑張り方が分からない。
社会人になっても同じこと。そういう私も、20代前半のときは「ああなりたい、こうなりたい」っていっぱいありましたが、そのときに想像できたようなことは幸いにしてなんとか実現できたように思えて(注:筆者はものすごい楽観・前向思考。。)、30歳になった途端に、そういったものがなくなってしまいました。思い浮かべるだけで自分が自然とワクワクしてしまうような、10年後はこうなっていたい、というものが描けない日々が数年続きました。結構辛かった。
留学から戻ってきて早いもので2年、少しずつ、自分なりの「絵」がまた描けるようにはなってきた気もしますが、そのためにも、サッカーからまたエネルギーをもらいたいところですなぁ。